落語の話はどこからでも始まる

定年間近なサラリーマンが落語のことをあれこれ書きます。

談志17歳の日記はやっぱり面白かった。

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平日ほぼ毎日書いてるブログがありまして、

そっちには書いてるのに、落語メインのこっちにまだ書いてませんでした、『談志の日記1953年 17歳の日記』。

 

年末の週刊文春で、高田文夫先生が面白いと書いていて、気になってたんです。先日、読了しました。

 

談志ファンにはとても面白い本です。

逆に、ファンでないとあまり面白くないだろうなあ。

 

立川談志が先代柳家小さんに入門した翌年、

柳屋小よしという前座時代の日記です。

 

17歳の1年間の日記がそのまま活字になっているので、小説のような起承転結があるわけではないし、何に対して怒っているのか感動しているのか、わからないところも多数。

 

それでも、へえ!と思うところは多々ありまして、

・前座のわりに意外に自分の時間があるみたい。

・映画をよく見に行っている。

・女の子のことがやたら気になっている。

・そして何度か、振られている(文脈から考えて)。

・誰にどんな噺を習っているかわかる。

・自分の才能に対する強烈な自信と、少しの不安。

といったことが読み取れて、ファンとしてはとても面白い。

 

談志師匠が筆まめというのは聞いたことがありますが、日記を若い頃から毎日つけてたんですねえ。

(1日だけ書いていない日があってそれも不思議)

(よほど忙しかったのかなあ)

 


最晩年までこの日記を持っていて、「いずれ本になるだろう」と編集者に託した、というのは、凄いというか、師匠らしいというか。

 

文楽はいやな奴だ。(中略)早く死んじまった方が良い。」

「どいつも皆んなしんじまへ。」

「(上野鈴本の)馬鹿旦那がいた。いやな野郎だ。」

「芸術はセコな奴ばかりだ。」

といった記述は、のちの談志の片鱗を感じます。

 


浅草はかなり嫌いで、新宿がとても好きだったようです。

その辺のことが、のちの田辺茂一氏(紀伊国屋書店創業者)との交流につながるのかしら。

 

#立川談志

#談志の日記