落語の話はどこからでも始まる

定年間近なサラリーマンが落語のことをあれこれ書きます。

「井戸の茶碗」花緑師匠が楽しげでした。

f:id:hagihara3845:20220216223807p:image

 

今夜は会社帰りに両国へ。江戸東京博物館の中のホールで、落語会だったんです。メンバーがなかなか凄いんですよ。

 


林家つる子 反対車

古今亭菊之丞 お見立て

柳家喬太郎 同棲したい

林家時蔵 武助馬

柳家花緑 井戸の茶碗

 


いいでしょ。

(つる子さんは体調不良のびっかり⭐︎さんの代演)

 

この会、どうやら時蔵師匠がプロデュースのようです。コロナのせいか、これだけのメンバーなのにところどころ空席が目につきました。残念だわあ。

 


そんなことはさておき。

 


特筆すべきは、井戸の茶碗

花緑師匠が実に楽しげに喋ってました。

花緑師匠、いいですねえ。

きっちり話しながらも時々「お!」という感じのくすぐりが入る。油断できません。

 


この噺は出てくる人が皆、正直者なんですよね。お金に対する欲がない。

 


で、そういう人たちのところにお金がやってくる、という構造も、聴いていて楽しい。

 


文七元結」も登場人物はいい人たちで、何しろ大金を見ず知らずの男にくれてやる、という噺ですが、その前提として、娘が自ら吉原に行くという設定が、微妙に気になります。

 


こちら井戸の茶碗は、たまたま小判が仏像から出てくるとか、見すぼらしい茶碗が実は、という設定なので、聴いていて変なストレスがないんですよね。

 


あえていえば、父親が娘の結婚相手を勝手に決めてしまうところかなあ。ただ、当時はそうだったんじゃないのかしら、という気がします。そこまでのストレスではない。

 


何より、そんな登場人物ひとりひとりを楽しげに演じている花緑師匠の姿が印象的でした。